自動人形は内観に耽る

たまに小説も書く夢想派社会系ブログです

米兵を怖がるのはもうやめよう

 沖縄での米軍属による今回の件での報道や、様々な人の言動に違和感を感じるので、少し書いてみようかと思ったのですが、永江一石さんが先にまとめていらっしゃったので、少し切り口を変えてみようと思います。

 

まずそもそも、加害者はどんな人?

 本来、軍属とは「軍に属する者」で軍人以外を言いますが、日米地位協定では「アメリカ合衆国の陸軍、海軍又は空軍に属する人員で現に服役中のもの」を除外しており、字義とは逆に「軍に属しない者」を軍属としています。報道を見るにこの加害者は民間の契約業者に雇用されているcontracterになります。つまり、食堂のおっちゃんおばちゃんと同じポジションなわけですね。自宅も基地外になります。

 

 また、日本人の奥さんと子供がいるようで、シンザトという姓を最初聞いたとき日系人かなと思ったのですが、どうやら奥さんの姓のようです。海兵隊をやめた後、奥さんと子供の故郷で生活していくために、仕事をゲットしてやってきたというストーリーもありえそうです。つまり、婚姻と血縁により、沖縄に多少なりとも地縁がある人物ということになります。

 

 ですので、「基地がなければ今回の事件は起きなかった」というのは、奥さんと子供のために違う仕事をして日本に来ていた可能性もあるわけですから、成り立たないわけです。

 そもそも、在日韓国朝鮮人と米軍関係者しか外国人がいなかった昔と違って、今は色々な国籍の人間が、様々な経路で入国在留しています。「基地がなければ」というのは何か事件が起きれば「日本の企業が雇用していなければ」とか「日本の学校が留学生を受け入れてなければ」とか「日本人が外国人と結婚していなければ」とか、言換えが可能になりますが、そんなん普通言えっこないわけですよ(特に結婚してなければ、は)。

 特に今回の件に即していえば「結婚してなければ」は重い。重すぎます。言っちゃあかん奴です。

 

「基地は出ていけ」は、「外国人は出ていけ」の言換え

 人間そもそも誰がどこに住もうが、自由です。居住移転の自由です。基本的人権とかいう奴です。ですので、米兵とか軍属だってこの権利を有しています。勿論諸般の事情のため制限を受けますので外国人は国際法上、自由に入国在留できませんが、人権というものの性質上、理念として制限は少なければ少ない方がいいわけです。

 そして今回の件は基地があったが故に起こったというより、変態が日本にいたから起こった属人的な事件という方が正確です。つまり論法としては

  1. 基地がなくなる。
  2. 事件は起きなくなる

ではなく

  1. 基地がなくなる
  2. ところで、外国人は沖縄に住んではいけない
  3. 故に、基地が無くなれば外国人であるアメリカ人は沖縄に住んではならない
  4. 事件は起きなくなる

 と、ならなければいけないはずですが、2と3に触れられることはありません。解ります。ちょっと排外主義的ですものね。言わないけれど、論理的前提として採用している。これは欺瞞でしょう。

 いやいや、普通の外国人はウェルカムですよ。でもちょっと米軍関係者がダメなだけ・・・というのは2と矛盾している上に、単なる差別です。

そもそも米軍人・軍属は県民が積極的に招いたわけではない。犯罪ゼロが「良き隣人」の最低限の条件である。それができなければ、沖縄にいる資格はない。(5月20日琉球新報社説

 ある程度の母数がいれば犯罪ゼロは無理です。つまり来るな帰れということです。また「良き隣人」というのは、米軍の表現ではあるのですが、4万人以上も米軍人・軍属がいれば、その人たちの「沖縄で生まれ育った子供」がまず間違いなく含まれます。その子供たちは所詮隣人、異邦人なのか、それとも沖縄の子供なのか。

 また、私たちは引っ越しするとき、普通引っ越し先の県民に招かれているとかいないとか考えません。自由だからです。

 勿論、外国人は普通日本に住んではいけないので、その点では正当化できますが、理念としてどーなのという話です。

 

ここまでが元々書こうと思っていた内容です。ですので次からが本題。

 

なぜ米兵・軍属への差別が正当化できるのか

 勿論、極悪人だからです。いやいや、事実と違うでしょ。沖縄で安全に暮らそうと思えば、アメリカ人より日本人に気を付けなくてはいけません。大体アメリカ人なんて世界的に見ればかなりマシな方です。軍隊に入るのは大体貧困層ですが、それでもそれなりの職にありついてる上に、上から滅茶苦茶締め付けられているはずなので、そうそう犯罪は侵さないだろうというのが皮膚感覚です。これに怯えなければいけないなら、英会話学校なんてとてもじゃないけど通えません。

 でも沖縄の人達は、米軍は凶悪で危険な奴らって信じちゃってます。何ででしょう。ちょっと探しただけでそんなのはうじゃうじゃ見つかります。取り敢えず琉球新報沖縄タイムスの電子版を漁ってみました。

市民らは「凶悪な米軍を外に出すな」などと声を上げ(5月20日琉球新報

 

 軍隊の中では『人を殺せ』と教えられているが、『人権を大事にしろ』とは教えられない。こんな軍隊を置いていたら、県民がいつまでも犠牲になる(太田元県知事・5月22日琉球新報

 

人を殺す訓練を受けた人が自由に基地の外で行動できる。同世代の孫がいるが、『夜は一切外に出るな』とも言えない。身の危険を感じざるを得ない状況がおかしい(5月22日琉球新報

 

健康のために歩くことさえ危険な状況(5月21日沖縄タイムスプラス

 

被害者は私だったかもしれない。私もよく夜に歩いている(5月21日沖縄タイムスプラス

 

沖縄では民間地域であっても安全ではない。

沖縄では基地が女性の人権を侵害する「暴力装置」のような存在になっている。「性暴力に脅かされないで当たり前に生きる権利」すら保障できない(5月22日沖縄タイムスプラス

  言われまくってるからです。これだけ言われればそりゃ米軍人は悪い危険な奴らで、誰だって怖いと思っても仕方ないでしょう。

 ただ、少し気取った言い方をするならば、これって米軍人・軍属は、これらの表象により創造された社会構築物であり、実体との関連性の有無に関わらず自明のものとされている、ということになります。

 なぜ、この表象が創造されたのか。米軍人・軍属が犯罪を犯したからです。特に昔は酷かったので、あいつら悪い奴という表象は実体とそれなりに関連付けられて生産されていたことは容易に想像できます。

 ですのでむしろ問題は、マシになった今、なぜどうやって、表象が再生成され、強化されているのか、ということです。

 漁っていた時にたまたま見つけた記事です。

www.okinawatimes.co.jp

 ここに怒り・悲しみ・嘆きの声はありません。これまでの記事と比較すると驚くほど感情的に平坦です。

日米両政府が「綱紀粛正」「再発防止」の徹底に言及するにもかかわらず、「目に見えた形で改善されていない」と憤り(安慶田副知事 5月21日沖縄タイムスプラス

 

事件が絶えず発生している(中略)

米軍は事件が起こるたびに綱紀粛正を唱えるが、統制が取れていない。(5月20日琉球新報

 

米統治下の弾圧に抵抗した政治家、瀬長亀次郎さんの次女で民衆資料館「不屈館」館長の内村千尋さん(70)は、瀬長さんが事件に関連し「団結をかためよ う。三度叫ぶ。一切の利己心を棄てよ!」などと不条理を正すために団結を呼び掛けた日記を示し、沖縄の状況が今も変わっていないことを指摘(5月22日琉球新報

  繰り返されていると繰り返されています。

 今年3月に米兵による準強姦事件がありました。それについての翁長知事のコメントは

今回の事件は、県民に過去の不幸な事件を想起させる悪質なものであり、激しい怒りを禁じ得ず、強く抗議(3月17日沖縄タイムスプラス

  今年に入って2件も凶悪事件が起きています。ただ、上掲のとおり、米兵・軍属による凶悪犯罪自体は大きく減少しています。

ryukyushimpo.jp

  累計することにより、変化を平準化し、希釈することで覆い隠します。

 琉球新報沖縄タイムスの社説はこのような特徴を余すことなく備えています。

ryukyushimpo.jp

www.okinawatimes.co.jp

www.okinawatimes.co.jp

 

 このような表象の再生成は、恐怖と正義感が駆動し、被差別意識が拍車をかけます。また呼びかけが含まれることも多いです。これがまた伝播性が高い。

排除のため機動隊員に抱きかかえられた男性は「放せ。(女性が)殺されていいわけがねえ」と叫んだ。

(中略)

「自分の妹だったらどうするの? あなたたちだって悔しいでしょ」

中略

「やっぱり同じ女性として怖いし、許せない。

(5月21日琉球新報

  つまり極悪人としての米兵・軍属という表象は

  1. 犯罪者として、表象される
  2. 表象に対する恐怖と正義感から、再表象される。場合によっては強化される
  3. 以下無限ループ

 こうして出来上がるのは、実体と遊離した米兵お化けとでもいうべき創造物です。似たような構造はあちらこちらで見かけます。女にとっての男、男にとっての女、左翼にとっての安倍首相、放射脳のひとにとっての原発などなどなどなど。とりわけイメージしやすいのは、ネトウヨにとっての在日でしょうか。在日ってすごい悪い奴のように言われますが、大体は普通の人です。今となっては朝鮮総連も昔ほどの面影はありませんしね。

 傍目から見れば、そういうのってちょっと現実と違うアレなアレなのですが、当事者たちは大真面目にお化け的な創造物、表象体系を現実と認識しているわけです。

 自分で描いたお化けの絵を、本物のお化けと思って怖がったり怒ったりしているようにしか見えないわけですね。

 

 それって、本人たちのためになるんでしょうか。私は、ならないと思います。

 

お化けを怖がるのは、もうやめよう

 リスクを過大に評価しても、生活の質を下げるだけです。

 また、お化け的な表象体系は大体限定されたセクタでのみ共有されているため、部外者から共感を得ることはできません。この表象体系の矛盾を克服する認知的不協和として、中国の工作員ガーとかプロ市民ガーとか言われている気がしないでもないのですがこれはこれでお化け的です。

 逆に、沖縄の側からの表象体系の矛盾の克服は、概ね本土は沖縄を差別しているということで克服している気がします。ただ、正直言って沖縄以外では沖縄と本土という二項対立的な図式は殆ど共有されていません。練馬区以外とか、埼玉以外とかが無いのと同じです。アイデンティティが差異によって基礎づけられるなら、本土というのはあまりにも広範で、本土人というアイデンティティを持つことってそもそもないです、アフリカ人みたいなものです、し、県民ですら微妙だったりします。

 ですので、現状の反基地運動は、支持を得ることが難しいと思います。

 もし本気で沖縄から基地をなくしたいのなら、必要なのは団結ではなく自省であり、実体から遊離した表象ではなく、幅広く共有されるオルタナティブな表象です。