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Chikirinの日記さんの難民関係の連載のおかしなところを逐一指摘してみる 第三回

この連載は、「Chikirinの日記」さんの難民関連の連載のおかしなところを逐一指摘する連載第三回目です。前回はこちら

Chikirinさんは現在第六回まで連載されています。

第一回 問題はデータと首相の認識

第二回 びっくり! これが日本の難民認定基準

第三回 難民条約とインドシナ難民

第四回 トルコとミャンマーの違いとは?

第五回 難民ってどーやって日本に来るの?

第六回 偽装難民についてはどう考えるべき?

 

今回はChikirinさんの連載第三回のおかしなところを探してみましょう。

d.hatena.ne.jp

Chikirinさんは、難民条約の位置づけを誤解し、内容も誤読しているんです。それを指摘していきましょう。

 

でも、その前に

ただそれをちゃんと指摘するために、先にそれなりに正しい知識を仕入れておきましょう。予習ですね。

 

難民条約って何でできたん?

1951年に採択された条約で、正式名称を「難民の地位に関する条約」と言います。

 

第二次世界大戦では、宗教的、政治的、人種的な理由で6000万人ともいわれる大量の難民が発生しました。一番わかりやすい例は、ホロコーストから逃れた人々です。

第二次世界大戦が終わったら、今度はドイツ人がポーランドソ連に迫害されました。

強制移住とか強制労働させられたんですね。日本人もシベリアで似たようなことされました。

 

また、冷戦が激化しつつある中で、東側諸国から西側諸国へと逃げ出す人々も出てきました。

つまり、第二次世界大戦中から大戦後にかけて、難民が激増したわけです。

 

で、そんな中、1948年に世界人権宣言が採択され、特に西側諸国で人権意識が高まってきました。

 

実は、難民自体は第二次世界大戦前からもいたんですよ。トルコがアルメニア人を迫害したりとか、ロシア革命のときとかに。

一応国際的な難民保護の枠組みがいくつかあったんですが、特定の集団に対して、少しだけの国が保護するような、せっまい枠組みだったんですね。

当然、難民の定義も狭かった。

 

で、大戦後、難民いっぱいいすぎて困ってるんで、もう、難民というものを一般に定義しよう、難民問題を国際協力で解決する包括的な枠組み作っちゃおう、ということでできたのが難民条約なんです。

 

ただ、この難民条約、弱点がありました。

締約国が、あまり難民の対象を広げすぎたくないということで、1951年1月1日以前に欧州で起きた事件で難民になった人たちだけを対象にするという、時間的・地理的な制限を付けちゃったんです。

ただ、難民条約ができた後も特にアフリカとかで新しく難民は出続けたわけで、どーすっぺかということで、1967年に難民議定書が作られ、難民の定義について時間的な制限については削除、地理的な制限についても殆ど削除されました。

 

その後、それらを超える国際的な難民保護の法的枠組みはありません

地域独自で条約を作ったりとか、国によっては法律を作って難民の定義を拡大したりしている場合もありますが、難民条約と難民議定書が今でも国際的な難民保護の中核的レジームです。ですので、難民の定義というものも国際的には、それに沿ったものになります。日本も当然、難民条約と難民議定書を批准しているので同様なんです。

 

と、ここまでが背景のお話です。

 

難民条約では難民ってどーいう人?

では、この二つの国際文書で難民とはどのように定義されているのでしょうか。

難民の定義規定は3つあります。

  1. 誰が難民か(該当条項)
  2. 難民であったものが難民でなくなる場合はどのようなときか(終止条項)
  3. 誰が難民と認められないか(除外条項)

今回は面倒くさいので、1番のもっともらしい定義のうちから、無国籍者に関する規定とか二重国籍の場合どうなの?とかの細かい部分をすっ飛ばしていきます。

2番は、迫害してた国が、ちゃんと保護するようになったときは難民じゃなくなるよ!とか、3番は戦争犯罪人は難民になれないよ!とかの規定があります。なんだか終戦直後のかほりがします。

全文に興味がある方は、こちらからどうぞ。

 

難民の定義はこのようになっています。

人種、宗教、国籍もしくは特定の社会的集団の構成員であることまたは政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するため に、国籍国の外にいる者であって、その国籍国の保護を受けることができない者またはそのような恐怖を有するためにその国籍国の保護を受けることを望まない者

なっが!わけわからんわ!ということで整理しましょう。

  • 人種、宗教、国籍もしくは特定の社会的集団の構成員であることまたは政治的意見を理由に
  • 迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有する
  • 国籍国の外にいる
  • 国籍国の保護を受けることができないまたは保護を受けることを望まない者

となります。解説していきます。

まずは、迫害の理由です。5つあるんですね。

  1. 人種
  2. 宗教
  3. 国籍
  4. 特定の社会集団の構成員であること
  5. 政治的意見

ちなみにのお話ですが、法律を読む場合「A、B又はC」は、英語では「A,B and C」となり、並列的な関係になります。また難民条約での迫害の5つの理由は、例示ではなく、限定列挙とされています。この5つと似たような理由、というのは定義上迫害の理由になりえない、ということです。

 

これらは結構広範に解釈されています。宗教といってもユダヤ教イスラム教とかだけでなく、例えばシーア派スンニ派などの宗派も含みます。

人種や国籍も、民族であったり言語的集団といった感じで文字よりかなり広く解釈されています。

 

そういえば一つわけわからないのがありますね。

そう、「特定の社会集団の構成員であること」ってやつです。

条約の起草当時に、想定されていたのは、インドのカーストです。

ただ、現代で、素直にこの言葉をとれば、女性やセクシャルマイノリティなんかもあてはまるのでかなーり意味が広そう。

「時代の変遷」を反映し、解釈を変えていける言葉です。

 

ただ、日本では特定のジェンダー性的指向を持つ人を「特定の社会集団の構成員」に入るものとして難民認定した例は(多分)ないばかりか、2004年と結構昔ですが、イラン人の同性愛者の男性による難民申請を不認定とした事例があり、裁判では国側が勝訴しています。

この判決にはいろいろ問題が多いので、迫害の解説のときにもう一度取り上げます。

 

日本における「特定の社会集団の構成員」の解釈は、同性婚セクシャルマイノリティへの理解がまだまだ進んでいないことが如実に反映されています。時代の変化を取り込める部分ですので、良く言えば今後に期待ということではあるのですが。

 

次は「迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖」というのを見ていきます。

ここの文言が難民の定義における、中核的な要素です。ここをはき違えてしまうと、いろいろと間違ってしまうわけです。

 

まず迫害ってなんぞ?

迫害について、合意された統一的な定義はありませんが、概ね「身体または生命に対する重大な脅威やその他の重大な人権侵害」と捉えられています。

この「重大な人権侵害」は、当然、それぞれの条約締約国の人権意識が反映されます。

人権て何よ、と言われたときに「こういうものだよ」って内容が違えば、人権侵害とされる内容も変わりますものね。

 

例えば

  • 同性愛者がカムアウトして自分らしく生きられない社会制度は、それだけで重大な人権侵害だよ
  • 性表現が規制されたりしてても、「慎ましく」生きている場合刑罰を受けないのなら、それだけでは迫害とは言えないよ

といういろいろな考え方がありえます。さきほど取り上げた判例では、日本は後者を採用したんですね。ちょっとビックリです。

日本人は、多少の節度があるなら人権侵害を許容する傾向にあると思います。

特にそれが外国で起きている場合には。

 

LGBTに関するムーブメントもここ数年で大分露出するようになりましたので、同性愛行為に及んだら死刑って流石にあかんやろ、とか、同性愛者って隠し続けなければバレたとき石打ち刑にされるとかってないわー、と考える人がかなり多いと思いますので、このあたり今後変更される可能性はあります。

ここも今後に期待というところですね。

 

さて「迫害をうけるおそれ」のおそれは、悪いことが起きる可能性という意味です。漢字で書けば「恐れ」ではなく「虞」です。

現に迫害を受けてなくても、迫害を受ける可能性があればいいということですね。

 

 「十分に理由のある恐怖

難民と認定するかしないかで、一番論点となりやすいのはここです。

恐怖というのは個人的な感情ですが、ここに「十分に理由のある」という制限が付きます。

「怖いわー何となくやけど怖いわー。うわ・・・カラスめっちゃおる・・・」というのではいけないのですね。

何を怖いと思うのかは、その人が歩んできた人生に左右されます。つまり難民申請した人の個人史や全人格が評価の対象になるということです。

また、十分に理由のある、と言い切るためには客観的な裏付けが必要です。

 

ここで難民の人はつまづくことが多い。

当然です。資料が必ずしもあるわけではないですし、ありうるわずかな資料も、危ないから逃げてきた人たちみんながみんな持って逃げれるわけがない。

難民認定する国は、難民であるという主張の裏を取るために、難民申請した人の出身国情報を収集します。

場合によっては、難民と認定するために、収集した情報を積極的に援用することもあるでしょう。

ただ、情報収集・分析能力は日本人全体で低い。

例えば、シリアでは外国人ジャーナリストは紛争地域やアレッポなどの激戦地域に分け入ってガンガンレポートしています。

日本は?と言えば、無差別爆撃とかしている政府の、首都ダマスカスのナイトクラブをレポート。これでも頑張っている方なんですよ。泣けてくるぜ

 

さて、難民申請した人が頑張って供述して、可能な限り努力して資料も提出した、審査する国側も情報収集した、でも、難民であると立証できない場合があります。

 

UNHCRのハンドブックでは、そのようなときは「疑わしきは申請者の利益に」として「灰色の利益」を認め、難民と認定するよう推奨しています。

ただ、ハンドブックには法的拘束力がありません(日本の判例では、裁判所もハンドブックに法的拘束力を認めていません)ので、日本ではこの「灰色の利益」が認められていません。欧米では、おそらく、殆どこれは認められているでしょう。

難民であることの立証責任は一義的には申請者自身が負います。しかし、求められる立証の度合いが日本は世界最高水準なわけです。

これが難民認定率に違いが出る理由の一つです。

 

さて、「国籍国の外にある」というのは、文字通りの意味です。

時に、国内避難民が新たな難民として強調されるのは、このためです。

 

国籍国の保護を受けることができないか、望まない

という趣旨の部分も、割とそのままの意味です。

 

以上が、難民条約が採択された背景と、難民の定義についての簡単な予習です。

UNHCRには、もっとちゃんとまとまっているものがありますので、興味ある方はご参照ください。

 

ではChikirinさんのブログのおかしなところを探しましょう

1951年、第二次世界大戦が終わって東西冷戦が始まった頃にできた条約なので・・・(中略)・・・当時は、過激派に迫害されるとか、内戦に追われて国を出る難民はおらず、共産党政権に迫害されて国をでる政治的難民しか想定されていませんでした。

はい、予習された皆さんならわかると思います。間違いですね。

迫害の理由は、政治的意見を含めて全部で5つありました

人種、宗教、国籍、特定の社会的集団の構成員であること、です。

Chikirinさんは、第二次世界大戦で難民になった人がすっぽり抜け落ちちゃってます。

 

しかしChikirinさんは、なぜこんなにも、政治的難民を強調するのでしょうか。

その理由は↓です。

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Chikirinの日記さんのスクリーンショットです。赤で記載しているのは私によるものです。

日本語間違えちゃったんですね・・・。

この切り方をすると、難民の定義で、「人種、宗教、国籍、特定の社会的集団の構成員であること」というのが、まったく意味をなさなくなります。何だったと思っているのでしょうか。

 A、BまたはCというのは、は先ほどの説明のとおり、並列的関係にあるんです。Chikirinさんは難民条約を誤読しています。

 

しかしその後、難民の発生理由はどんどん多様化します。

たとえば、

民族自決運動の中で独立運動が盛んになって独立派と残留派が争って国を離れる人が現れたり、

政府ではなく、他宗教や他宗派に迫害されて国を離れる人が増えたり、

セクシャルマイノリティという“非”政治的な理由で迫害される人が現れたり、

国が内戦状態に陥り、誰が迫害したってわけじゃないけど、もはや住んでられないから逃げてきたり、

と、“いろんな理由での難民”が急増。


もちろん国連難民高等弁務官事務所(UNHCR) は、そういった難民にも積極的に保護を提供するよう世界に呼びかけており、

他の先進国はそのガイドラインにそって難民認定をしているのだけど、

相変わらず日本だけは“もともとの難民条約に書いてある最も狭ーい基準”をそのまま使い続けている。

これが、日本と他の先進国の基準に違いがある理由です。

 ”いろんな理由での難民”のほとんどは難民条約がカバーしています。

カバーしていないのは、内戦から逃げてきた避難民と呼ばれる人々です。

日本が、セクシャルマイノリティの人を難民認定していないのは、難民条約がセクシャルマイノリティをカバーしていないからではなく、難民条約の解釈にキャッチアップできていないからです。同性愛者を不認定としたのは2004年以前の話です。それ以降は、事例集ではひとまず同性愛者に言及されているものはありません。

ちなみに、UNHCRの文書で同性愛者に頻繁に言及されるようになったのが2000年代から。性的指向/ジェンダーアイデンティティに関するガイドラインは2012年10月23日付です。

 

Chikirinさんの書き方ですと、世界には難民条約という基準と、UNHCRのガイドラインという二つの基準があるようにも読めます。

まず、ChikirinさんのいうUNHCRのガイドラインが具体的に何を指すのか不明です。

こちらの法的保護・枠組というタブをクリックしてもらえれば、いくつかガイドラインとされているものを見ることができます。

そのほとんどが、難民条約に関するものです。難民条約が中核的枠組みであることは変わりません。

 

一般に、避難民と、難民条約に定められた難民(条約難民や認定難民と言われます)は区別されます。

UNHCRは避難民の保護を「補完的保護」の一形態として、保護することを推奨しています。

EUは、独自の枠組みを作成し、避難民も難民と認定し保護を提供しています。

 

では、日本は避難民に対する保護を行っていないのでしょうか?

前回で、私は「補完的"な"保護」という言葉を使いました。

日本では、シリア難民などの内戦から逃げ出してきた人々を、難民と認定していなくても、人道上の理由で在留を許可しています。

法務省事例集にも、明らかに内戦から逃げてきた人の在留を許可している事例があります。

EUと日本では、避難民の法的位置づけは異なりますが、庇護を行っている点では同様です。

 

もちろん、避難民に対する日本の在留特別許可は

難民認定と在留特別許可では待遇に差が出ること

基準が法制化されておらず、不明確・不透明なこと

在留特別許可は、法務大臣が「特別に許可してやるでー感謝せーやー」という性格のもので、必ず許可されるというものではないこと(公平性は担保されているはずですが)

などなど、批判の余地があります。

 

ただ、それでも日本は内戦から逃げてきた人を庇護していないわけではありませんし、

その庇護も、あくまで”補完的”保護であって、難民保護の中核的規範が難民条約であることには変わりません。

 

日本が難民条約を批准した経緯について

難民条約自体は基本的に欧州で発生した難民に対応しているものでしたので、日米は当初批准していませんでした。

米国は1951年難民条約は現在でも未批准、1967年難民議定書のみを1968年に批准。ちょっと意外でしょう?

 

1975年以降のベトナムラオスカンボジアからのボート・ピープルの流出が、日本が難民条約を批准する契機となりました。

日本に到着したボート・ピープルは、1975年には9隻126人、1976年には11隻247人でしたが、1977年には25隻833人へと急増、1979年から1982年の4年間は毎年1,000人台でした(外務省)。

ただ、このボート・ピープルは、難民条約の難民ではなかったんですね。

共産主義の新体制への不安・非適応・異議申し立てのため出国した人から、出稼ぎ目的の人までかなり幅の広い人々も包含していたからです。

 

最初は日本も他のアジア諸国と同じように、日本に到着したボートピープルをホイホイとアメリカに送り出していました。

これ、理由の一つに、ボート・ピープルが日本での定住を希望せず、アメリカでの定住を希望していたから、なんです。

今のシリア難民で言えば、当時の日本は、トルコとかギリシャのポジションだったわけです。ドイツへの通路ならぬ、アメリカへのルートだったということ。

 

インドシナ難民の日本への受け入れを猛プッシュしたのはアメリカです。

その理由は、アジアの国だから、とか、人道上の理由・・・ではなく、難民の大量流出により周辺諸国が不安定化しドミノ倒しのように共産主義国へとなることを恐れたからです。

そのために、1975年までベトナム戦争していたわけですからね。

 

インドシナ難民は大部分条約難民じゃないし・・・まだ日本条約批准してないし・・・アメリカやたらプッシュしてくるし・・・ということで、日本はインドシナ難民を閣議了解に基づいて受け入れを決定し、その後順次受け入れ枠を拡大しました。

 

で、まぁついでに難民条約も1982年に批准したのですが

条約難民には、社会保障について内国民待遇が保障されなければなりません。

条約批准のためには、社会保障関係法令(国民年金法、児童扶養手当法等)から国籍要件を撤廃しなければなりませんでした。

さらに余談ですが、この時、外国人にもこれまで実質的に権利が認めていたから改正しなくていーじゃんといった感じで、改正の枠から漏れた有名な法律があります(伏線です)。

 

ボート・ピープルの流出のピークは1979年でしたから、1981年国会承認1982年効力発生というのは、まぁまぁ頑張った方じゃないでしょうか。

ですので

1981年の難民条約もアメリカ様から怒られて批准したんでしょう。

というのは、微妙に文脈を読み違えている気がしないでもありません。

 

さて

日本の難民関係の書類を見ていると「定住難民」と「認定難民」という言葉がでてきます。

定住難民とは前述したインドシナ難民のことで、認定難民のほうが「難民条約というめっちゃ古い条約に基づき、すんごい厳しい基準のまま認定された難民」のことです。

おっと!

インドシナ難民は、難民認定されていません。閣議了解に基づいて受け入れています。だからわざわざ「認定難民」ではなく「定住難民」と言っているわけです。

 

認定難民がまさしく難民条約に基づき認定された難民のことなのですが、難民条約をレガシーのように言うのも、誤った認識です。

難民条約は、1951年に発行した古い条約ではありますが、今日でも意義を失っておらず難民保護の中核的役割を果たしています。

また、今現在でも、新たな解釈が生み出されて上積みされています。

難民条約は生きている条約なのですね。

 

次回に続きます。