Chikirinの日記さんの難民関係の連載のおかしなところを逐一指摘してみる 第四回
この連載は、「Chikirinの日記」さんの難民関連の連載のおかしなところを逐一指摘する連載第四回目です。
Chikirinさんは現在第八回まで連載され、この連載は完結されています。
私のこれまでの連載はこちら
今回はChikirinさんの連載第四回のおかしなところを探していきます。
国際政治と難民
実は結論部分の
日本に限ったことではありませんが、難民認定と国際政治はものすごく密接に結びついているのです。
というのは、現在のEUとトルコ、シリア難民を見ていれば、かなりの程度同意できます。
ただ日本では、そもそも国際政治と難民認定が絡み合うほど、難民認定が政策としての重要度を持っていないと思います。なんてったって、少ないから
ただ、この辺り国際政治云々や日本の難民認定が政治にどの程度影響を受けているか(または受けていないか)といったことを、事実ベースで指摘していく能力は私にはないので、パッと見のおかしなところだけ指摘していきます。
まず
第二回エントリに書いたように、日本は迫害主体が「相手国の政府」でないと難民とは認めません。
何度も書いていますが、これは事実誤認ですね。ですので
つまり日本に難民認定をされたら、その国の政府は「あんた、国民を迫害してるでしょ!」と日本政府に指摘されたも同然なんです。
これは必ずしもそうだとは言えません。相手国政府がChikirinさんと同じく事実誤認し、難民条約の解釈を誤っている場合を除いては。
たとえばトルコ人が日本で難民として認定されるのは、とても難しいことです。
ご存じのようにトルコはクルド人問題を抱えており、長く弾圧とテロの応酬が続いています。
でもクルド人の反政府組織のメンバーが国外に逃れ、日本に難民申請をしても認められる可能性はとても低い。
これは事実です。恐らくですが、日本で難民と認定されたトルコ国籍の人はいないか、いても極々少数です。
ただ、
だって・・・そんなことしたらトルコ政府が怒るから。
トルコは超のつく親日国だし、日本もその良好な関係を活かし、トルコに鉄道や原発、橋やトンネルなど大型インフラの輸出をしたいともくろんでいます。
そんな中、日本がクルド人を「トルコ政府から迫害を受けているので保護する必要がある」と認定してしまったら?
トルコ政府は、日本政府の判定を非常に苦々しく思うでしょう。
難民認定をする法務省としても、そんなことで日本企業がトルコでのビジネスチャンスを逃したら、他省庁や官邸からボコボコにされてしまいます。
だから迂闊なことはできないのです。
日本が、トルコ国籍の人を多少難民認定してトルコ政府激オコになるなら、EU相手にトルコはそろそろ憤死するんじゃないかと思います。
まぁEUはトルコの人権侵害をネチネチ指摘していじめるのが趣味みたいなものですから、あまり影響はないというか、それすらカードとして扱っているのかも知れません。
ただ、親日国であることと、政策決定やビジネスで優遇されるかは別です。
そもそも、トルコが熱い!ってなったのはせいぜいここ数年、2013年・2014年ごろからです。
安倍首相は2013年に2回、2015年にも1回、トルコに多くの企業を同行させトルコに外遊しています。
ではそれ以前となると?
2006年に小泉首相がトルコを訪問したのが最後です。結構前なんですよ。
そしてトルコが熱い!となる前から、トルコ国籍の人は難民認定申請して、蹴られていました。
つまり、トルコ国籍の人が難民認定されていないのは、日本とトルコ2国間の国際政治以外の理由が100%と言って差し支えないんです。
さて、トルコ人が難民認定されない一方、日本での難民認定と人道配慮による在留特別許可(補完的な保護)の多くをミャンマー人が占めています。
さて冒頭の表、日本における難民認定&庇護数の 8割以上を占めていた国は、実はミャンマーです。
ミャンマーはつい最近、アウンサンスーチー氏が率いるグループが政権を執るまで、長らく軍事政権下にありました。
その間、日本を含め西欧諸国は軍事政権に経済制裁をし、反体制派であったスーチー氏を支持してきました。
このためビルマ人を難民と認定し、軍事政権から「日本、ウザっ!」と思われても、日本は困りません。だから遠慮なく難民認定ができる。
これが「日本政府としては決して怒らせたくないトルコ政府」との大きな違いです。
実はミャンマーも結構親日国ですし、日本もミャンマーとは結構仲良しなんですね。
ミャンマーの軍事政権を、欧米に先駆けいち早く国家承認したのは日本ですし、ミャンマーに対するODAも総額1兆円を超え、世界一位なんです。
経済制裁もかなり及び腰で、大体の場合「まぁまぁ」となだめて終わらせようとする感じです。日本ではありがちですね
ただ・・・それに怒ったのか偶然なのかはわかりませんが、2007年に反政府デモを取材していた日本人フォトジャーナリストの長井健司さんがミャンマーで射殺されるという事件が起こりました。
(中略)
軍事政権が外国人ジャーナリストを狙い撃って殺すなんて、かなり衝撃的ですよね。
ビルマの軍事政権だって、そんなことをしたら日本との関係が決定的に悪化することは分かっていたはず。
そして長井さん射殺事件の翌年、日本はミャンマー人の庇護数を 69人から 344人へといきなり 5倍近くに引き上げます。
これは外国人受け入れに超超超消極的な日本としては異例ともいえる受け入れ拡大です。
2007年ミャンマー反政府デモ(サフラン革命)に対する日本の強硬措置は、「人材センター」建設への5億5200万円の資金援助を中止したのみです。
やっぱり「まぁまぁ」だったんですね。福田首相も「直ちに制裁考えず」といった発言をしていました。
庇護数が増加したのは、2007年の申請数816人(うちミャンマー人500人)から、2008年は1599人(うちミャンマー人979人)とほぼ2倍になったことと、サフラン革命に対する弾圧の結果、人権侵害状況がより一層悪化したという外部要因がまず挙げられるはずです。
だから
政府が極めて親日的であるトルコからはほとんど難民を受け入れず、
受け入れるのは、その国の政府と日本政府が敵対している時だけ・・・
ミャンマー情勢の悪化を無視していることと、日本とミャンマーの関係が敵対的と評価できるほど悪化していなかったことを考えると、この結論はおかしいんです。
そもそも、トルコはEUが人権にうるさいこともあって、公式には迫害をやめるように多少手立てを行っていたんですね。あくまで、公式に多少は程度ですが。
例えば、拷問をした警察官が訴追されたりとか、ですね。
ミャンマーはそのような手立てが存在していなかったので、公式に迫害しまくってたわけなんです。ロヒンギャなんて、市民権すら認められていません。
これはつまり難民の定義の「迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖」の部分で差が出る可能性がある、ということです。
ですので
日本に限ったことではありませんが、難民認定と国際政治はものすごく密接に結びついているのです。
というのを、日本・トルコ・ミャンマーに当てはめるのはいささか無理があるんじゃないでしょうか。
今回はこの辺りで。
次回に続きます。